葛城遼彦

私、葛城遼彦が書いた駄文を発表するブログです

大東亜戦争秘話 海行かば (戦う年少兵)

海行かば (四)①

(四) 私は、元々船乗りだった。船員学校に在籍していた当時から砲術は好きな科目であり、当然その心得もあったから、海軍に志願してのち、しばらくは館山の砲術学校に派遣されていた。その砲術学校で小型銃砲の操作方法は習っていたので、二十ミリ機関砲を任…

海行かば (三)②

出港三日目頃から、北海道に近づくにつれて、潜水艦の攻撃から逃れるために、沿岸から離れて進路を自由自在に変えて航行するようになった。 四月三十日、船団は根室港沖一〇〇マイルを航行するまでになっていた。一マイルは約一.六キロメートルである。つま…

海行かば (三)①

(三) 「昭さん、お前ほんまに一等兵曹か。将校でもないのによう知っとるな。俺も伍長やさかい、あんまり違わんのに感心するわ。ほんで続きはどうなるんじゃ。」 進行役の武雄叔父が身を乗り出して言う。無類の話好きである。 「叔父さん、叔父さんの話聞かせ…

海行かば (二)②

さて、一路大湊へと言いたいところだが、実際は、そうはいかなかった。 しばしばジグザグに舵を取って、太平洋からオホーツク海へ、オホーツク海から太平洋へと航路を変更しつつ目的地に向かって進んでいったのであるが、この頃は、往路の時とは違い、オホー…

海行かば (二)①

(二) なぜ、生涯口外しないと誓った青春の日の記憶をこの日に語る気になったのか、はっきりしたことは私にもわからない。 旧軍に身を置いたことのない若造で、元陸上自衛隊の法律幕僚で二佐ながら、いつも知らん顔をしている上田が、あの日は妙に神妙な顔を…

海行かば (一)③

私は、昭和十七年の春、大湊海兵団に入団した。十六歳になったばかりであった。 階級は二等水兵である。 そして、昭和二十年八月まで、主にアメリカ海軍と戦っていた。 もともと私は船員学校にいたから、成績もよく、動作も敏捷であって、上官の受けも格別に…

海行かば (一)②

ところで、昨年の五月一日のこと、東京から北海道北見に移り住んでいた岳父母のうち岳母が、突然逝去した。 その前日午後十一時頃、岳父から「母さん、倒れる」との電話を受け、すぐに駆けつけ、その臨終にも立ち会った。 岳母は、翌一日の午前三時に永眠し…

海行かば (一)①

(一) 定年少し前に農林省林野庁の役人を辞めた私は、しばらくその外郭団体に籍を置いていた。それも半年前に定年になった。 現在は、北海道の北見市内にある関連会社に招かれて、若い職員の指導を任されている。 私は北海道育ちだが、生まれは岐阜の大垣で、…

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