海行かば (一)①
(一)
定年少し前に農林省林野庁の役人を辞めた私は、しばらくその外郭団体に籍を置いていた。それも半年前に定年になった。
現在は、北海道の北見市内にある関連会社に招かれて、若い職員の指導を任されている。
私は北海道育ちだが、生まれは岐阜の大垣で、小さい頃に父母に連れられて北海道に移ってきたのであった。他の人達がそうであったように、昭和二十二年頃までは私も士族を名乗っていた。
今では、士族などと言ってもほとんど知る人もいないが、士族とは、武士の家柄の者に与えられ昭和二十二年まで存在した族称で、法律上の特典はなかったが、それなりに尊敬されていた。若い私が士族を名乗っても、別に何の指弾を受けることもなかった。
今でも、北海道移住の前後では、岐阜の大垣から両親に連れられて、兄と一緒にいくつも汽車を乗り継いで、連絡船で津軽海峡を渡ったときのことをはっきりと思い出すことができる。
その船中で、海軍の下士官に出会った。
「坊や、いくつだい。」
「はい、四歳です。」
「おじちゃんは二十六歳なんだ。賢そうな坊やだな。大きくなったら、何になるんだい。」
「僕は海軍士官です。」
「ほほう。海軍士官か。しっかりお勉強しないと士官にはなれないよ。」
「おじちゃんは、海軍少尉さんなの。」
「いや、おじちゃんは、まだまだ少尉さんにはなれないの。おじちゃんは、二等兵曹なんだ。」
そこまで話したとき、水兵が、
「分隊士がお呼びです。」
と、その下士官を呼びに来た。その下士官の顔は、その後長らく覚えていた。
私は三十一歳で結婚し、妻義子との間に二人の子供をもうけたが、二人とも男子で、もう数年前に親元を離れて独立し、長男は、私の跡を継ぐような形で営林署に勤め、次男は、教育大学を出て、道内の中学校に社会科の教諭として奉職している。学生時代は有名なテニスの選手で、日本一、二と言われる程の剛腕で鳴らしたことがあった。
そんな訳で、現在の家族は、私達夫婦二人だけである。