葛城遼彦

私、葛城遼彦が書いた駄文を発表するブログです

海行かば (一)②

 ところで、昨年の五月一日のこと、東京から北海道北見に移り住んでいた岳父母のうち岳母が、突然逝去した。

 その前日午後十一時頃、岳父から「母さん、倒れる」との電話を受け、すぐに駆けつけ、その臨終にも立ち会った。

 岳母は、翌一日の午前三時に永眠した。少し寒いと言って病院に運ばれ、あとは、多少大きな鼾をかいて、しばらくして平穏な眠りにつき、静かになった。静かになったと思ったら、命の火は消えたのであった。周りの人達は、すぐには来迎があったことに気付かなかった。

 岳母は、生前常々「あまり人様に迷惑をかけずに、私は静かに死にたい」と言っていたが、その言葉どおりに死んでいったと言っていい。

 法事が始まって、その夜半、宿直の役をかって出た私は、通夜の席であるにもかかわらず、同じく通夜の役をかって出た親類の人達と酒を飲んだ。夜中には、検事を辞めて今は奈良で弁護士をやっている上田が駆けつけてくれた。

 仏の前で、宿直の人達が「上田さんが来てくれたよ、母さん」と呼びかけると、仏は「ウン。ウン。ウーン。」と応じた。

 私は、もともと海軍の一等兵曹で、人の死に毎日のように遭遇し、わりと慣れているはずだったが、このときは何かゾーとして、何も言えなかった。

 酒好きな上田も、そのときばかりはしばらくじっと押し黙ったままだった。

 通夜の席は、始めは岳母の思い出が中心で、真面目くさった話をしていたが、そのうちにくだらない話に移り、やがて酒の回りも手伝って、誰するともなく、それぞれ勝手気ままな、己の若い日の苦労話に移っていった。

 通夜は、通宵の意味で、夜通しというのが本来の語意である。日本国中どこでもたいして変わりはないだろうが、燈明を消さず、線香を絶やさず、夜を徹して仏をお守りする日本古来の仏教的慣行である。

 その席には、酒が付き物である。

 通夜に飲む酒は、お神酒である。お神酒は、邪気を払う。従って鬼は近寄れない。だから通夜の酒は、あながち不謹慎ではない。

 私も酔うほどに、勧められて少年時代の思い出を語った。

 それは、戦いに明け暮れた海軍の年少兵の戦争の日々であった。

 年少兵時代のことは、それまで誰にも明かしたことがない「私の秘密」である。

 勿論、同じ海軍の軍人で予科練習生出身の長兄や、妹は知っていた。だが、兄は寡黙の人であるから他人に語るはずはないし、他人は誰も知らなかったはずである。

 私が少年時代の身分を話し始めると、宿直の人達は唖然として黙っていたが、そのうちに、私の話に耳を傾けはじめた。

 

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