海行かば (一)③
私は、昭和十七年の春、大湊海兵団に入団した。十六歳になったばかりであった。
階級は二等水兵である。
そして、昭和二十年八月まで、主にアメリカ海軍と戦っていた。
もともと私は船員学校にいたから、成績もよく、動作も敏捷であって、上官の受けも格別によく、昇進も早かった。十八年には上等水兵、十九年にはニ等兵曹に昇進した。
二十年には一等兵曹に昇進していた。
「終戦の時、私は十九歳でしたが、、、私は勇敢でしたよ。」
その時、淡路島からきていた岳父の弟の実弟の谷口武雄が、
「おい、一等兵曹というと、陸軍でいう兵長かい。」と聞いてきた。
「いや、違います。」
「曹が付くから下士官やな。」
「はい。軍曹というところでしょうか。」
「ほ、ほう。昭さん、偉いんじゃのう。」
座が静まり返った。
その時、私の伯父にあたる梶原という男が、気をきかして、
「四面海なる帝国を
守る海軍軍人は
戦時平時のわかち無く
勇みはげみて勉むべし」
と泣きながら歌い出した。
「水漬く屍と潔く
生命を君に捧げんの
心だれかは劣るべき
勤めは重し身は軽し」
・・・・・・
合唱は続いた。
しばらくして、
「軍歌斉唱やめ~え。辞めい。皆、昭君の話を聞こうじゃないか。」
昭和十三年兵で、「あらくれ兵長」の異名で呼ばれていた淡路の武雄叔父がドスの利いたよく通る声で、一言うなった。鶴の一声であった。
だいぶん、酒のまわりが早かったようだった。
「おまえらの意気はよろし。しかし、なんぼなんでも通夜の晩なんやぞ。」
私は、それでは話の続きをいたします、と言ってから、
「私は、二等兵曹になった時に、もう一人前の水兵になったつもりでした。海軍でいう、塩っ気の効いた水兵になった、と正直思いました。」
「お前ら、二等兵曹やぞ、軍曹や。その上で話を聞け。はい、二等兵曹、続けて。」
武雄叔父は、もうすっかり進行役である。